久保建英選手の小さい頃|サッカーの才能はこう育った

久保建英選手の小さい頃を感じさせる少年少女サッカーのグラウンド風景イメージ セレクションと進路

久保建英選手の小さい頃を振り返ると、最初から特別な環境だけで育ったわけではなく、川崎市の地域サッカーから歩みを始めていたことがわかります。10歳でスペインの名門FCバルセロナ下部組織(ラ・マシア)に入団するまでの背景には、才能だけでなく、日々の練習環境や習慣、そして保護者の支えがありました。

この記事では、久保選手が小学生・中学生年代にどのようなクラブ・大会・練習環境を経験したかを整理します。自分の子どもがサッカーを続けている保護者の方にとっても、進路やセレクションを考えるうえでの参考になる視点が含まれています。

大人になってからのプロキャリアではなく、あくまで小中学生年代にしぼって、育成期間の実態をていねいに整理していきます。

久保建英の小さい頃のサッカーの始まり

久保建英選手は2001年6月4日、神奈川県川崎市麻生区生まれです。サッカーを始めたのは2004年、2歳のときです。最初期は坂浜サッカークラブ、百合ヶ丘子どもサッカークラブといった地域の小さなクラブでプレーしていました。

2歳からボールを蹴り始めた背景

父・久保健史さんは筑波大学体育会蹴球部の出身で、子どもへのサッカー指導経験もありました。建英選手が2歳になった頃から、父親と近くの公園で毎朝ボールを蹴る習慣が始まりました。著書「おれ、バルサに入る!」(久保健史著、文藝春秋)には、年間350日以上、ほぼ毎日一緒に練習したと記されています。

ただし、父親がサッカーを強制したわけではありません。「サッカーが好き、楽しい」という本人の気持ちをつねに優先し、進路や入団も必ず本人の意思を確認してから決めたというのが一貫した方針です。保護者がサポートに徹することと、子ども自身が意思決定することの両立が、この時期の大きな特徴です。

幼少期の外遊びとマルチスポーツ経験

建英選手は2歳から、川崎市麻生区の地域自主保育グループに参加しました。山の斜面を登ったり、鬼ごっこをしたりといった体を動かす外遊びが中心の環境で、2歳の子どもでも親は手を出さずに見守るスタイルで運営されていました。

サッカー以外にも、水泳・ラグビー・陸上を経験しています。水泳では級ごとの進級、陸上では速く走るフォームの基礎など、それぞれの競技で異なる体の使い方を身につけました。卓球もとくに得意だったとされ、バルセロナの寮では対戦希望者が列をつくったというエピソードも残っています。

複数の競技を経験することで、体の可動域・バランス感覚・判断の幅が育まれます。これはスポーツ科学の分野でも「多様な運動経験が専門競技に好影響をもたらす」と指摘されている考え方と重なります。

保護者が整えた練習環境

久保家では、子どもが外で遊ぶことを優先するため、家の中にテレビゲームやソファを置かない方針をとっていました。リビングを練習スペースとして使えるように家具配置を工夫し、子どもが自然に体を動かせる環境をつくっていたといいます。

また、父親はバルセロナキャンプを事前に見学し、そこで確認した練習方法を自宅での練習に取り入れました。「チャンスは一回」と考え、参加前の1年間を準備期間として計画的に活用した背景があります。こうした保護者の行動は、プロ資格や専門コーチの有無に関わらず、情報収集と段取りで子どもをサポートできることを示しています。

久保選手の幼少期に共通する特徴
・2歳からの外遊びと親子での毎日の練習
・サッカー以外の複数スポーツも経験
・「やりたくない」は無理にさせない子育て方針
・保護者が情報収集して練習環境を整えた
  • サッカーを始めたのは2歳で、地域クラブからスタート
  • 父親と年間350日以上、毎朝公園で練習した
  • 水泳・ラグビー・陸上など複数の競技も経験した
  • 保護者が練習環境を整え、子どもの意思を尊重した

バルセロナキャンプMVPから下部組織入団まで

建英選手が世界に向けて動き始めたのは、小学校2〜3年生にあたる7〜8歳の頃です。FCバルセロナが日本で開催するキャンプへの参加を起点に、10歳でのカンテラ入団へとつながっていきます。

バルサキャンプとMVP獲得(小学2〜3年生)

FCバルセロナは2007年から日本国内で毎年キャンプを開催しており、MVPに選ばれると「バルセロナと試合ができるチャンス」が与えられる仕組みでした。建英選手の父親はパンフレットでこの条件を知り、参加を計画し始めました。

ただし、幼稚園年長の時点では「MVPになれるレベルではない」と判断して参加を見送りました。開催地のみなとみらいまで見学に行き、練習内容を確認したうえで、その方法を翌年の自宅練習に取り入れたといいます。翌2009年(8歳)に初参加した際、「ムイビエン(ベリーグッド)」と評価され、MVPを獲得しました。

ヨーロッパ遠征とバルサスクール選抜

2010年4月、バルセロナスクール選抜の一員としてベルギーで開催されたソデクソ・ヨーロピアン・ルーサスカップに参加しました。チームは3位でしたが、建英選手は通常は優勝チームから選出される大会MVPを受賞しています。

この大会への参加は、小学3〜4年生にあたる年齢でのことです。日本のジュニア育成年代では、地域リーグや県大会が活動の中心になる時期に、すでに同年代の世界トップクラスの選手たちと試合を経験していたことになります。海外遠征の経験が、その後のカンテラ入団テストへの自信と準備につながりました。

川崎フロンターレU-10への入団

小学校3年生のとき、川崎フロンターレの下部組織(U-10)に入団しました。Jクラブのアカデミーに所属しながら、並行してバルセロナへの挑戦を続けたことになります。川崎フロンターレのアカデミーは、現在も育成力の高いクラブとして知られており、その環境で国内の同年代選手たちとも競い合いながら技術を磨きました。

Jクラブのアカデミーには、セレクション(選考試験)を経て入団するのが一般的です。小学3年生でU-10のセレクションを通過し、その後2年間在籍したのち、バルセロナへの移籍が決まりました。

バルサキャンプ参加のポイント(保護者向け)
・対象年齢は6〜13歳(小学1年〜中学1年)
・事前にキャンプ内容を調査し、1年かけて準備した
・参加タイミングは「子どもの準備が整ってから」と判断した
  • 2009年(8歳)のバルセロナキャンプでMVPを獲得
  • 2010年、ベルギーの国際大会でも大会MVPを受賞
  • 小学3年生時に川崎フロンターレU-10に入団
  • Jクラブアカデミーとバルセロナへの挑戦を並行して進めた

10歳でバルセロナカンテラ(ラ・マシア)入団

2011年、建英選手は10〜11歳のときにFCバルセロナのカンテラ(下部組織)であるラ・マシアの入団テストに日本人で初めて合格しました。この年齢区分はアレビンCと呼ばれます。

入団テストの内容と経緯

入団テストは2週間にわたってバルセロナで実施されました。最初はベンハミンA(同学年チーム)での練習から始まり、途中からアレビンD(1学年上の下位チーム)、さらにアレビンC(1学年上の上位チーム)へと参加レベルが引き上げられました。

期間中にはアメリカのチームとの練習試合で1得点し、チームの引き分けに貢献しています。すべての日程を終えた2011年4月13日、ディレクターのアルベルト・プッチ氏から正式な合格の言葉が告げられました。当時、外国籍選手が同テストに合格するのはきわめてまれなことでした。

ラ・マシアでの4年間

少年少女サッカーの環境で子どもたちが練習に励む様子を表すイメージ画像

2011年から2015年まで、ラ・マシアで4年間を過ごしました。2013〜14シーズンにはU-12の地中海カップで大会得点王とMVPを獲得し、リーグやカタルーニャ杯の制覇にも貢献しています。

しかし2014〜15シーズン、FCバルセロナがFIFAから18歳未満の外国人選手の獲得・登録に関する規則違反による制裁を受けました。この影響で建英選手の公式戦出場停止処分が続き、2015年3月に日本への帰国を決断しました。これは本人や家族の意思による進路変更ではなく、制度上の制約によるものです。

帰国後のFC東京U-15むさしへの入団

日本に帰国後、2015年にFC東京U-15むさしに入団しました。当時は川崎市立西生田中学校に在籍しており、中学生年代のカテゴリーで日本のサッカーに再適応していきました。2015年の日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会では優秀選手賞を受賞しています。

年齢・学年の目安所属クラブ・主な出来事
2歳(2003年)地域自主保育グループ参加、父親と公園でサッカー開始
小1〜2年(2007〜08年)坂浜SC・百合ヶ丘子どもSC、東京ヴェルディスクール
小2〜3年(2008〜09年)FCパーシモン、バルサキャンプMVP獲得
小3〜4年(2010年)川崎フロンターレU-10入団、ベルギー国際大会MVP
小5(2011年)バルセロナカンテラ(ラ・マシア)入団テスト合格、スペインへ
小6〜中2(2012〜14年)ラ・マシア在籍、地中海カップ得点王・MVP
中3(2015年)帰国、FC東京U-15むさし入団
  • 10歳でラ・マシア入団テストに日本人初合格
  • 4年間のスペイン生活でスペイン語とカタルーニャ語を習得
  • FIFAの制裁を受けて2015年に帰国、FC東京U-15へ入団
  • U-15クラブユース選手権で優秀選手賞を受賞

中学生年代での飛躍とプロ契約

日本に帰国した後、建英選手は中学生年代でも突出した活躍を見せ、異例の速さでプロの階段を上がっていきます。

FC東京U-18への飛び級昇格(中学3年)

2016年、中学3年生ながらFC東京U-18(高校年代)に飛び級で昇格しました。このカテゴリーの飛び級は通常、年齢が1学年上のチームに参加することを意味します。日本クラブユースサッカー選手権(U-18)では、大会史上初となる中学生での得点王(5得点)に輝きました。

同年9月には、FC東京のトップチームに2種登録されました。2種登録とは、ユース所属選手をトップチームの公式戦にも出場させられる制度です。15歳5か月20日での選出は、U-19日本代表史上最年少かつ、中学生での選出は初の記録となりました。

J3リーグ最年少出場記録

2016年11月5日、J3リーグ第28節・AC長野パルセイロ戦に後半から出場し、Jリーグ史上最年少記録を更新しました。翌2017年4月15日のJ3第5節・セレッソ大阪U-23戦では、15歳10か月11日でJリーグ最年少得点記録も樹立しています。

高校1年生にあたる年齢でプロリーグに出場し、得点記録を更新したことは、育成年代の選手として異例の経歴です。ただし、この経歴はあくまで特別なケースであり、多くの小中学生選手にとってはU-15・U-18のカテゴリーで着実に経験を積むことが基本の道筋です。

FC東京とのプロ契約締結

2017年11月1日、FC東京とのプロ契約締結が発表されました。当時16歳。FC東京U-18に所属しながらトップチームとプロ契約を結ぶ形です。同年にはJユースカップ、日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会の2冠も達成しました。

プロ契約の締結は16歳でしたが、それ以前からJリーグの試合に出場し、代表活動にも参加していたという経緯があります。契約の詳細や移籍の条件については、FC東京や選手サイドが段階的に取り決めを進めていたことがその後の報道で明らかになっています。

中学生年代の主な記録(参考)
・U-18クラブユース得点王(中学生として大会史上初)
・U-19日本代表最年少選出(15歳5か月20日、中学生で初)
・Jリーグ最年少出場・最年少得点(2016〜17年当時)
・16歳でFC東京とプロ契約
  • 中学3年でU-18に飛び級し、クラブユース選手権で得点王
  • 16歳でU-19日本代表に史上最年少かつ初の中学生として選出
  • J3リーグ史上最年少出場・得点記録を更新
  • 2017年11月にFC東京とプロ契約を締結

久保建英の育ちから学べること

久保建英選手の小さい頃の経歴は、特別な才能と同時に、環境・習慣・保護者のサポートが組み合わさった結果です。ここでは、ジュニアサッカーに関わる子どもや保護者が参考にできる視点を整理します。

早期特化より多様な経験を優先した

建英選手がサッカー一本に絞る前に、水泳・ラグビー・陸上・卓球など複数のスポーツを経験しています。この点は「早くからサッカー専門にすべきか」という問いに対する一つの参考になります。

スポーツ庁や日本スポーツ協会(JSPO)の資料でも、小学校低学年頃までは多様な動きを身につける時期として、幅広い運動経験を推奨しています。サッカー技術の向上だけを目指すのではなく、さまざまな動きを経験させることが、中長期的な競技力につながるという考え方です。

セレクションへの準備は情報収集から始まる

久保選手の父親がバルサキャンプを事前見学し、内容を確認したうえで1年間準備したというエピソードは、セレクション対策の考え方にも共通します。どのような基準で選考されるのかを事前に調べ、それに合わせた練習課題を設定することは、特別な環境がなくてもできる準備です。

Jクラブのアカデミーや地域トレーニングセンター(トレセン)のセレクションに向けて、公式サイトや大会要項で選考基準・対象学年・応募条件を確認することが最初のステップになります。また、セレクションの詳細は各クラブ・各都道府県協会によって異なるため、必ず主催者の公式案内で最新情報を確認してください。

親のサポートの範囲と距離感

「やりたくないと答えたことを、無理にさせたことはありません」という久保建史さんの言葉は、保護者のかかわり方として具体的な指針になります。練習への付き合いや送迎など物理的なサポートを惜しまない一方で、進路決定や練習の意欲は本人に委ねるというバランスです。

保護者が熱心になりすぎると、子どもの自主性が育ちにくくなることがあります。コーチや審判への言動も含め、子どもが自分で考えて行動する余地を残すことが、長期的な成長につながりやすいとされています。観戦時のマナーや応援の声かけについても、試合中は見守りに徹することが子どもにとって安心につながることが多いです。

視点久保選手の事例保護者が参考にできる点
スポーツの多様性水泳・陸上・ラグビーも経験低学年期は複数競技を体験させる
セレクション準備父親が事前に見学・調査公式案内で基準・条件を確認する
親のかかわり意思決定は本人に委ねた送迎・環境整備はサポート、判断は子どもへ
練習習慣毎朝の公園練習を年間350日継続短時間でも毎日の習慣化が基礎をつくる
  • 早期のスポーツ特化よりも多様な運動経験が長期的な競技力に結びつく
  • セレクション準備は情報収集と逆算的な練習設計から始まる
  • 保護者は物理的サポートを担いつつ、意思決定は子どもに委ねるバランスが大切
  • 練習の習慣化は量より継続性にある

まとめ

久保建英選手の小さい頃は、2歳でのボール遊びから始まり、地域クラブ・川崎フロンターレ・バルセロナカンテラと段階的にステージを上げた育成期間でした。その背景には、才能と同時に、保護者による環境整備と情報収集、本人の意思を優先した育て方がありました。

お子さんのサッカーの進路を考えているなら、まず所属チームの指導者に現在の課題を聞くことと、次のステップ(トレセン・Jクラブセレクション)の公式案内を確認することを試してみてください。

小さい頃の環境や習慣の積み重ねが、その後の進路の選択肢を広げます。焦らず、子ども自身が楽しめる形でサッカーを続けることが、長い育成期間を支える土台になるでしょう。

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